島原「そうめんの山道」では、国産小麦100%の手延べ素麺・うどんの製造、無添加だしパックの販売・通販・卸を行なっております。


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島原そうめん発祥の起源(中国福州伝来説)

和食(和麺)ともいえる素麺(そうめん)と饂飩(うどん。その起源は古来中国から伝わったと言われています。日本の文化・外交・貿易の窓口であった長崎、島原には当時の先進技術、文化が集まっていました。島原そうめんの製麺技術は島原の乱(原城の一揆)以前に伝えられたとも言われています。その背景と島原そうめんの歴史を過去から現在まで解説します。

福州(中国福建省)伝来説

島原そうめんのもう一つ有力なルーツに「福州伝来説」があります。話は前後しますが、肥前日野江藩は1562年の島原「口之津」の開港により多くの南蛮文化、中国文化の交易・交流があり、大いに栄えた事は既成の事実です。

岡本大八事件の責任を問われ自害した有馬晴信の没後、肥前日野江藩(のち肥前島原藩)の藩主となった晴信の嫡男、有馬直純による当時の幕府への献上品記録「国乗遺文」に、様々な献上品に加え素麺二千貫(御献上並び御進物用、江戸へ御仕送物)、素麺十五貫(御参勤の節、九月より霜月まで三度の御仕出)の記録がある。

これは当時の日野江藩には、島原の乱(1637年)以前からここ有馬の地で素麺を作る者がいたという事が窺がえるのではないでしょうか?

「福州伝来説」を検証すべく、~須川手延べそうめんのルーツを求めて~と題し西有家町商工会主催により、平成2年、平成4年の二回にわたり中国福建省、福州市の視察が中国政府関係者の案内の元開催されました。(商工会資料より)

 

<日中国交正常化20周年・長崎福建友好県省10周年記念>
~須川(島原)手延べそうめんのルーツを求めて~中国福建省研修事業・検証結果

◆福建では「湯餅」→「ほう飩」→「索麺」→「線麺/ソーミェン」へ
◆素麺の製造方法は島原と同じである。福州の方言で「線麺/ソーミェン」と発音されている。
◆400~500年前に福建省から九州へ大量の移民が行われたという文献がある。
◆明の時代(600~400年前)、福州の港から36人の中国人が長崎へ渡った。「人三十六姓」と呼ばれ、その中に索麺の技術を持った者がいたという。
◆福州そうめんと島原そうめんは、工程・器具・道具が同じであった。(小豆島製法とは異なる)
◆唐船の往来により、僧侶による技術伝導は確実に行われたいたであろう。

以上が研修資料です。
その後、明治維新、戦後の高度成長期を迎えた日本は食文化、食の産地形成にも大きな変革をもたらします。島原そうめんの歴史をご覧ください。

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山道そうめん(金帯、紫帯、黒帯品)は、品質並びに生産工場の衛生状態も含め、島原手延べそうめん認証委員会の厳格な審査基準をクリアした商品です。